妥協は、まったくまったく後ろ向きなんかじゃなく、むしろとてもポジティブだと思う

蜘蛛の糸も、自己犠牲も、やはりクソだ。
そんなことをしなくても、私たちは生まれてきた時点で次世代の踏み台になることは明らかに決まっている。踏み台になれるということは世界の喜びである、ということを受け入れてはじめて、すべての生に感謝できる。

真っ当な生を送る(=他者に貢献する、それは仕事というだけでなく存在のレベルで、そして他者に感謝する、存在のレベルで)
生きる意味とは完全に他者への貢献、そして尊敬すべき踏み台への感謝、である。

だから私たちは前進しなければならない。それこそが感謝の体現である。バトンを受け取ったら走り出さないといけない。チームガイアという種として、リレーは続いていく。
ただし、その“前進”の形や方法はそれぞれであることも、忘れないでいたい。