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正味、めちゃくちゃ遠回しな事だなと
百聞は一見にしかずと言いますが、私はみんなに「一見」をして欲しいがために「百聞」を作らないといけない。
めちゃくっちゃ手間ですよ。
もうお前一緒に来いよって言った方が早いし楽だし。
でも、それでもこの作品を作る意義っていうのは
もう自分のためでしかないです。
私自身がこの作品を作る事で、15人分の「一見」をしてるという事と。
今までは「一見」で終わっていたものを、ちゃんと私はこんな一見したんだっていう証拠を「百文」に整理したという
それがこの作品。
そうして百見は一考にしかずになり百考は一行にしかずに繋がっていくんです。
この作品を見て「あ、そう」の君達はもうそれでいいです。
これが答えだと思っているんだねバーカって感じです。
超歌手大森靖子さんの言葉を引用するなら「@YouTubeさんから私の全部を分かった気になってライブに来ないね」です。


私は教職課程をとっていて、でも別に学校の先生になりたいとは思っていないです。
高校まで生徒の立場にいて先生って何ぞや?って思うところがあって、どんなことを勉強して先生になるのかということに興味があったので撮ろうと思った。
だからそういう興味ほんいで始めたものの、レポートとか実習とか結構大変で、続けるかどうか迷った時に教職課程を取る意味っていうのを考えたんです。
で、これは教えることの勉強だなと思ったんです。
そう考えると、教えるって別に学校のことだけじゃないじゃない。
年をとって下の世代に自分が学んだことを伝えていくということは、必ず必要となってくる。だからその勉強だと思ったんです。
で、そういうこともあって教職課程を取ると同時に、私は次の世代に何を教えることができるのかということを考えて、まあやっぱみんなに成長してほしいじゃないですか
自分が成長できたことって何だろうと振り返った結果、人と話すことだった。
だからみんな人と話そうぜっていうのを言ってたんですけど、
なんかそもそも私がやりたい教育の形って先生形式じゃないなと思ったんです。
授業は知識を習得する場であり、先生はお仕事なんです。給料が発生しているんです。
いや、何いまさらなこと言ってるの?って感じなんですけど。
私は経験を促したいわけであって知識を与えたいわけではないし、その対価としてお金を払ってもらおうとも思ってない。
どっちかっていうと同士を増やしたい。同じ核を持つ人間を増やしたい。
っていうようなことだから、もうそもそも教えてあげなきゃみたいな考えから間違ってたなっていうのをつい最近気づくことができて、私が私であるということから、みんなが勝手に何か受信してくれればいいっていう。そのくらいの無責任さでいいのかなっていうのを思って。
変に先輩ヅラしなくていいんだなっていうのを思いました。