「自分を大切に」というのは、具体的には「それは私の問題ではない。修行ですね」と、心の中で他人や周りに対して言えることでもあったりします。




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悪いことが起きた時に「全て自分のせいだ」と思って解決しなくちゃと思うのですが、課題の分離、ですね。修行という場面は誰にでも訪れます。回避できたのではないかと考えるよりも、甘んじて受け入れひたすらに行を修める。筋トレの感覚と同じだと思います。
筋繊維はちぎれダメージを負う、けれどその分力がつく。段々と乗り越えられるようになる。生きることは心のスポーツ。だから傷付くことは生産である。疲れたら休んで、また修行しての繰り返し。

心こそが世界を作り出し、心こそが他人を捉える鏡である。

諦念、「諦」は真理、諦む、明らむ、物事を明らかにする、執着から解放されることで真理に出逢える。

まだ逢ったことのないモノたちよ。
あなたの本当の姿を知りたい。

誠実であること。
それは闇世を照らす月。
自他共に照らす道標。
うさぎはずっと夢を見ている。
夢を見ているのだ。