私のこの悲しみが、そんなもんとか、あるあるとか、私もとか、一般化されることはとても絶望で、私の心、この悲しみにすら価値がないのか、と死にたくなった。春。
地球のことを考えると目の前のことがちっぽけなことだと思えて悲しくなくなると助言され、地球目線になったら、本当に自分がちっぽけで、ちっぽけ過ぎて、泣いた。
私の本物はどこにあるのだろうか。
それを、一生をかけても見つからないかもしれないそれを探す旅路なのだろうか。
いまは秋。
ベランダには立たなくなったが、相変わらず心に黒いしこりがある。
夏、終わりを決めた。
少し自分なりに咀嚼できるようになった、気がする。
何処へだって行ける。
私が私であることが働きになる、そこにたどり着きたい。
これはあまえではないよ。
私の夢だ。
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