2017.10.05 04:27私たちは、いつも迷子だ。行くべき場所があると信じ、しかしそれが何処であるかは分からず、彷徨い歩き、疲れ、途方に暮れ、それでも歩む足を止めない。そんな中私は、自身が迷子であると信じたくないがために、助けを求めることもできず、周りの人に溶け込み、さも歩くことを楽しんでいるかのようにしか振舞うことができないのだ。2017.10.05 10:56あなたが希望と認識している最後のものは、本当は、絶望であるのかもしれない。あなたは目の前にあるものだけを信じ、その裏にある本質を見い出そうとしなかった。だから、裏切られ打ちひしがれているのだ。猫は実はパンであり、パンは女であり、女はタニシであった。そうだ。喜びに見えるものは悲しみで、愛に見えるものは実は憎しみなのかもしれない。しかしこの宇宙は闇ではない。逆に言えば、私たちが孤独や苦しみと認識しているものは、本当は、あたたかな、あたたかな午後の日差しであるのかもしれないのだ。猫かと思ってよく見りゃパン!しかし一斤、まだ、まだ一斤もあるじゃないか。2017.09.28 09:38問答せよ。0コメント1000 / 1000投稿
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