優越性の目標(人生の意味の心理学【上】より抜粋&要約)
人生はどんな意味があるのか。
それは、暗闇の中を手探りで進み、完全には理解できない感情を経験し、説明のためのヒントを捕まえ、説明を探ることによって、決定するのである。
同様にわれわれは手探りと推測によって、我々の優越性の目標を決める。
優越性の欲求(=神に似たいという欲求)に基づいてライフスタイルが選択される。すべての行為はその目標と一貫したもの。
クラスで1番怠惰な少年、彼の目的が、注目を引き、教師をコントロールすることである限り、そうするための最善の方法を見つけたのである。彼の怠惰を取り除こうとしても無駄だろう。怠惰は、彼の目標のために必要だったのである。この見方からすれば、彼は全く正しかったのだ。
別の少年は、従順だが鈍く機転が利かなかった。兄は賢く活発だったが生意気だったので、いつも揉め事を起こしていた。弟の見かけ上の愚かさは、彼の目標ーートラブルを避けることーーを達成する方法であることがわかれば、知性の表現であるとみえるかもしれない。目標から考えれば、バカではないことが愚かだったであろう!
問題には、症状を除去するという対処がなされてきた。個人心理学は医学においても、教育においても、このアプローチにはまったく反対である。
問題行為や成績が悪いなど、我々の注意をこれらの特別の点に集中し、この特別の表現において改善しようと試みることは無意味である。おそらく教師を困らせたい、あるいは、学校から追放されることで、学校から逃げたいとさえ思っている。(つまりその“行為が正当化される目標”があるということ)
その症状は、彼にとって有用であり、それがもっとも必要なまさにその時に現れる。自分に与えている苦痛は、懸命な投資でしかない。
その行為を妨げたとしても、目標を達成するための新しい方法を見つけるだろう。
目標が同じである限り、一つの症状を断念しても、また別の症状を見つけなければならない。追求し続けなければならないのである。
我々が常に探さなければならないことは、症状が採用される目的
であり、この目的が優越性の全般的目標と一貫していることである。
どういうことに劣等感を感じ、安全のためにどう行動しているか?
そのための努力は良く計画されて成されたと見えるだろう。
一つの点においてだけおかしい、それは「優越性の解釈」である。もしも具体的な目標の選択が良くないと確信できたら、行動を変えることができるだろう。
我々が改善できるのは手段ではなく目標である。
目標を変えることで習慣と態度も変わるだろう。
子ども時代の最初の頃までのライフスタイルを遡った。子ども(時代のこと)を学ぶことなしには、誰も大人を理解することはできない。
もしもわれわれが人を愛するのなら、優しくなければならない。そして、我々の他者への関心は、われわれを傷つきやすくする。
傷つくことを避け、傷つくことへの準備が十分できていない。弱さの感覚を自分から取り除く。
離婚した両親、母親に生命を歓迎されなかった少女は言った。「私は物を盗んだり、男のことで歩くことがあまり楽しいわけではない。でも、お母さんに私をコントロールできないことを見せないといけないの」
「復習しようとしているの?」
「そうだと思う。」
彼女は自分が母親よりも強いことを証明したかったのである。しかし彼女がこの目標を持ったのは、母親よりも弱いと感じたからだけだった。母親が自分を嫌いなのだと感じていて、劣等コンプレックスを持っていたのである。優越性を主張するためにできた唯一のことはトラブルを引き起こすことだった。
子どもが非行をするときは大抵、復讐のためである。
嘘をつくというケースには、探せば厳しい親が見つかるはずである。真実を語ることが危険であると感じなければ、嘘をつく意味はないだろう。その行為は勝ちたいという欲求によって促されたのである。征服されていると感じていた。傷つけることによってだけ、相手より優れていると感じることができたのである。
あなたが幸福になることと、あなたを援助するために何ができるかということにしか関心がないことを示した。
怖れ、弱さ
優越性をも呑めるために誤った方向へ進んだ人をどのように援助することができるだろうか。優越性の追求が誰にでもあるということを認めれば困難なことではない。相手の立場に身を置き、相手の闘いに共感できる。彼らがなす唯一の誤りは、彼らの追求が有用な目的には役立たないということである。
動機付け、貢献の源は優越性の追求である。
人間の生活の全体は、この活動の太い線に沿ってマイナスからプラスへ、敗北から勝利へと進行する。しかし真に人生の課題に直面し、それを克服できる唯一の人は、その優越性の追求において、他の全ての人を豊かにするという傾向を見せる人、他の人も利するような仕方で前進する人である。
価値と成功は、結局、協力に基づいている。
わらわれが行動、理想、目標、そして性格に求めるすべてのことは、人間が協力することに役立つかどうかである。
誤ったライフスタイルを身につけた人は、有用な(他者と協力し全体に貢献する)仕方で行動する勇気を無くしてしまったのである。「協力して成功することは、お前のためにはならない」と劣等感が言う。
彼らは人生の本当の問題から逸れ、自分の力を再確認するためのシャドーボクシングをしているのである。(力を失ったと感じてしまっているのである)
状況をより良くできると思うから、関心を持つ。
私たちが持つ多種多様な目標には、わずかであっても誤りを含んでいる。
しかし、共同体感覚が優越性の目標の追求に伴えば、その誤りは決して大きなものにはならない。
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