その人に成り代わることはできない。なぜならば、人生って修行の面もあって少しでも自分の心、魂を素晴らしいものに、豊かなものに、そして喜び溢れるものに、あるいは耐える力を付けるものにするって動きがあるわけで、相手の人生の艱難辛苦、そういうものは相手しか受けることができない。共感はできても本当のところはわこらない。これが一つの人間の命の尊さですよね。

すごく共感してしまって、いつも心配している。いやいや、心配するくらいなら応援したらいい、応援するときにその人の役割を取って自分がすると甘やかしになったり、その人の尊い人生の経験をとってしまうことになる。

心の中で「どうかこの人にこの状況を耐えられるだけの忍耐力をつけてあげてください」と。「この人の中に忍耐力が生まれますように」とかね。「この人が色んなことを乗り越えられますように」と、本当に本気で祈ってごらん。この祈りの力っていうのは、実は他人にも伝わるというのが少しずつ分かってきてるのよ。祈りの中の集中というのがあるんです。それは歌う時や芸術活動の集中にも似てるんです。祈りというのは、自分自身の心身も整えるし、祈っている対象に対しても何かの影響を与えるのではないか。という論文も出てる。少なくとも「その人のために祈る」。心配するのではなくてその人が「乗り越えられますように」「明るい心を持って今日少しでも心に光がさしますように」と本当に真剣にたった10秒でも祈ってあげてください。そうすることで、自分が強くなっているということを感じるでしょう。

夜寝る前に自分の体から金色の薄い半透明な金色の膜がサーッと身体を覆って、自分が他の人の影響をあんまり受けないような自分になる、自分の身体に結界を張ると言いますが、そういうような瞑想をして眠りに落ちる、それだけでも変わります。