八尾さんが何のための儀式か忘れてしまったみたいなのも、今の仏を拝むのとかと似てるというか、拝む行事?的なのは残ってるけど、なぜ拝むの真の意味とか言葉の意味とか全然知らんけどとりあえずやってるみたいな
自身の体験を持ってして深めることができるSIRENまじすごいな…
余白残してるから考察したくなるみたいなの外山さん?言ってたけど、描かれてるところがあっての余白だし、余白あっての描かれているところっていう、この関係が良いんだよな…