デザイン的思考に魅了されたのは、論理的であり、人を誘導する力があるから。
幼さに魅了されたのは、無条件に愛し愛され、暴力が許される存在であるから。
どうしても変えたい
あの時、あの衝動は、漠然とした殺戮欲求だったのかもしれない。
優勝(つまりどんな人にも認められる一等)が欲しいなら(万人に共通しない部分を削って普遍であらねばならない。誰にも当てはまらない個別性はいつだって殺される。それこそが“私”なのに。さぁ、)今ここでどの“私”を殺そうか?
こころの森を開拓してるの
わたしの刃でわたしが痛い
君はそれをきぼうだと言った
わたしはとてもぜつぼうしていた
成長って残酷なの
そうだってお金払って見守りたいのは成長過程という自分殺戮ショー
一生成長しない
私の中の少女をひとりも殺させない
心を殺すこともrude
心で殺すこともrude
変わらなければならないことが何故存在するのか。
変えようとすること、力を及ぼすことは暴力。
成長ってなんだ?痛くない自殺が本当の成長なのだろうか。
「〇〇させる」ことは無理なのである。無理なのにやっちゃってるから道理が通らなくなっちゃってるのである。
「〇〇させる」は使役なのである。国語の文法で習ったのである。使役は他人を道具にすることなのである。
だから他人に「〇〇させる」ためには、その人を奴隷として育てるしかないのである。
それを喜びとさせるのである。
ヤプーなのである。
こわいのである。
こわいのである。
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